ライターの仕事とは「文章を書くこと」ではなく「人に伝えること」

Webライター

いきなりで恐縮ですが、みなさんは書くのが好きですか?

ライターを志している人であれば、たぶん少なくとも嫌いではないし、苦手でもないのだと思います。書くのが好きだから、文章を書くことを毎日やりたいし、苦にならないし「仕事」や「職業」にしていきたいのだと思います。

でも、ライターの世界では「書くのが好き!」という感覚だけでは、うまくいかないことも多いように思います。

「書くのが好き」でも、読者には届かない

どんなに書くのが好きでも、その書いたものが読者に届くかどうかは別です。

そもそも「書くのが好き」というのは、自分のことです。なので、自分が楽しい・自分が楽しいからといって、相手に届くか、おもしろい記事になっているか、役に立つ情報を整理できているかはわからないんですよね。

今まで、たくさんの原稿を見てきましたが「書くのが好き!」「書きたい!」と自分の思いをもうプッシュされる方は、比較的ユーザー目線に立つのが苦手な傾向があるように思います。

自分が書きたいことと、ターゲットが知りたいことがずれていたら、役立つ記事にはなりません。また「自分が書いた」ことや「自分の書いたものがメディアに公開された」ということだけに喜びを感じてしまうこともあります。

わたしも実は、初心者の頃そうだったのです。「自分はこれだけの分量の記事を書いたんだ!」とか「こんな賢そうな記事を書いたんだぞ」という自己顕示的な欲求が満たされて満足してしまっていた時期があったと思います。

これは、書くのが好きだからこそ、生まれる欲求のような気もしますね。

ブログやnoteのように、自分のメディアやコンテンツであれば、それでいいと思います。というより、それをどんどん放出していったほうがいいとさえ思います。

でも、ライターとして仕事を受ける場合はこの自己顕示欲みたいなものは邪魔になってしまいます。過去記事でも、そのような話を一度書いているかもしれませんが、とても大事なことだと思うので、改めてその話をします。

これを読む人は何を思うか?どう感じるか?

まず、記事を書くときは「これを読む人は何を思うだろう」「どう感じるだろう」と考えてみることがめちゃくちゃ大事です。

書いている途中で「あれ、これってみんな知ってることじゃない?」「当たり前のことをそれっぽく言ってるだけじゃない?」などと、我に返る瞬間ってありませんか?

確かに、構成指示に沿って書いていると、当たり障りがなくて、どこかで見たような内容をつらつら並べるだけになることもあるかもしれません。そういうときに「じゃあ、みんなが知ってる当たり前のことがいかに重要なのか」という切り口の文章を追加すると、格段に内容に深みが出ます。

たとえば、よく健康や美容に関する記事を書いていたとき。「〇〇の予防には、生活習慣の見直しが大事です。生活習慣が乱れるとうんたらかんたらで、かくかくしかじかなのです」

みたいなことを書いてしまうことがあるんですよね。確かにどこのどの情報を見ても、健康の基本は生活習慣の改善なんです。だから言っていることは嘘ではありません。ただ、おもしろくないんです。必要とされていないんです。

そもそも、生活習慣が乱れている人は健康への意識がそれほど高くない、めんどくさがりだし好き嫌いは多いし、夜中までネットフリックス見て朝起きるのがつらい……というような人です。(これがペルソナですね)

そういう人に「生活習慣が大事です」と言ったって、そんなことは知ってるわ!とページを閉じられて終わりなんですよね。

そこで何をするかっていうと、そういうヒドイ生活習慣を送っている(わたしみたいな)人に対して、有益な情報は何か?を考えてみます。

たとえば、どれだけ生活習慣の影響が強いのかを示す文章を入れたり、そんな人でもできるスモールステップを提示するなど。

たとえば「生活習慣を整えるのが大事なのはわかっているけど、なかなか実行できないしダラダラ過ごしてしまう……という人は、〇〇を1日1回やることから始めましょう」というような感じです。これはスモールステップの提示です。

これで、単純な文章に共感性がうまれ「そっか、全部できなくても、それだけならやれそうだな」という自信がついたりもする。こんな感じで、文章の人間味や具体性を高めていく工夫が欠かせないんです。

ライターは文章ではなく、人を相手にしている

ライターという仕事は、文章を書く仕事だと思っている人が多いです。記事を書くのが仕事、文章をカタカタと打ち込むのが仕事だと、勘違いしやすいかもしれません。

でもライターは「人に何かを説明したり、人の悩みや困りごとを解決したりするのが仕事」です。そのために文章や言葉をツールとしてうまく操っているのですね。

だから「書く」ことは目的ではありません。「記事を完成させる」のが目的でもないのです。ましてや「納期に間に合わせる」ことが目的ではないわけです。

もちろん、自分のなかではそうなのですが、自分が書いたもの、作ったものの先には、たくさんの人がいること、またその人たちの生活に影響を与えるのだということを、ときどき考える必要があると思います。

あまり考えすぎると書けなくなる……という人もいるかもしれません。それに、どこまで書いていいのかどこまで自分を出していいのか迷うこともあります。でも、工夫してみるということは大事です。工夫してみたけど、カットされちゃったら「あちゃ~」で終わりです。だんだんと匙加減や、バランスは身につくと思います。

とにかく「この記事を読む人」のことを、一度想像して書く訓練は大事だと、改めて思たった日でした。

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